「登山家じゃなくて下山家だろw」などと揶揄されるケースも多かった栗城史多さんの身に、恐れていたことが起こってしまいました。
一部のクライマーや登山関係の有識者などは、以前から栗城史多氏の登山家としての実力をゴリゴリに疑問視している方々がいたわけですが…。
(そしてほとんどの著名な登山家は「栗城には一切関わるな」というスタンスだったようですが)
どうして栗城氏は、無謀とも思えるエベレスト挑戦を続けざるを得なかったのでしょうか。
いろんな噂を総合すると、栗城氏は口先だけは超一流だが、登山家としての実力は2流どころか3.5流。
私も実際に動画で観たことがありますが、服部文祥さんが「栗城くんは登山家としては3.5流」と発言したことがありますね。
登山家としての実績や実力は、全然ダメ。
しかし、巧みな話術と魅力的風な人柄で、多くの(登山に詳しくない)ファンを獲得。
そして「エベレストに登ります!」という壮大な夢をぶち上げ、あちこちで講演しまくり、資金を調達することに関しては非凡なものを見せる男、それが栗城史多。
・・・・・・ということのようですが…。
例えば、こういうことなんだと思うんです。
フルマラソンンを走ったこともないのに「俺、アイアンマンレース(トライアスロン)で世界一目指すよ!」って豪語しているような感じというか。
しかも、君の用意した自転車「ママチャリ」じゃないか?っていう。
道具のスペックとか、事前の準備とかも非常にお粗末。
さらには、毎回、最初の3.8キロのスイムで溺れかけてリタイアしてるような。
いや、アイアンマンレースどうこう以前の問題だろっていう。
栗城氏は
段階を踏んでいない。
地道にステップアップするという道のりを全部すっとばして、いきなり「エベレスト登頂!」と夢を語る。
登山に詳しくない人は「栗城さん、ありがとうございます!感動をありがとう!」とか言う。
栗城ファンたちは「大きな夢を持っている人を笑うな!」というけれど、それとこれとは話が違う。
大きな夢を笑ってるんじゃない。
登山家としてのトレーニングよりも資金集めの講演会に奔走しているような状態で、何がエベレストか。山を舐めてたらいつか死ぬぞ、と言っているのだ。
「彼はそういう登山界の常識に挑戦しているのだ」という声が聞こえてきそうです。ただ、ヤンキースの4番を目指すなら、野球にすべてを捧げる日々を送っていないと説得力ないでしょ。ふだんはフルタイムのサラリーマンをしていて、ヤンキースの4番と言っても荒唐無稽にしか聞こえないじゃないですか。
例えば、「東大を目指します」と豪語しているのに、勉強は1日に1時間だけ、などという人間がいたら、どう思うだろうか。
その受験生の挑戦に、感動する人なんているだろうか。
栗城氏の言ってることとやってることの温度差というか、なんというか。
そういう武勇伝的なもののまとめ。
トップページ - 栗城史多まとめ @ ウィキ - アットウィキ
以前、栗城氏のエベレスト登頂失敗に密着したNHK(だったかな)のドキュメンタリー的な番組を観たことがありますが、なかなかしょっぱい内容でした。
おそらく、番組のディレクター自身も若干、激怒していたんじゃないかと思います。
かなり批判的な目で栗城氏を捉えていたように感じました。
うろ覚えですが、ラスト間際にこんなシーンがありました。
トランシーバーで会話する栗城とサポートスタッフ。
栗城「もう無理です。下山します…」
下で待つフタッフ「了解」
栗城「誰か迎えに来てくれませんかね…」
スタッフ「できるだけ自分の足で降りてきてください!」
栗城「え~~……」
スタッフ「(怒)あなたのためにみんな大変な思いをしてるんですよ!」
栗城「はい…弱音はいちゃってすいませんでした…(泣く)」
みたいな感じ。
実力が無い人に無理矢理エベレスト登らせ続けたら、最後はどうなるか。
最終的には「死」しかないんじゃないでしょうか。
山を舐めんなよって話です。
栗城氏は、もう引っ込みがつかなくなっていたのかも知れません。今さら辞めると言えない状況。
多額の資金を集めて、多くの栗城ファンの期待を集めて、大きなことを散々豪語して。
今さら「僕の実力では無理です」とは言えないところまで追い詰められていたのかも知れません。
いや、詳しいことは分かりませんよ?
私は栗城ファンではありませんし、アンチ栗城でもありませんので。
ただ、やはり、ものすごく違和感だけは以前から感じていました。
以前の凍傷で指の大半を失い、ますます登頂までの道のりが困難になったのに、エベレストを諦めるという選択肢は無かったのだろうか。
どうしてこうなった。
何故、やらなければならなかったのか。
だれが栗城を追いつめた?
「この人、どうかしてるんじゃないか?」
私は栗城さんを批判したいというよりも、とにかくわからないのです。この無謀な挑戦を続けていく先に何があるのか。このあまりにも非生産的な活動を続けていくモチベーションはどこにあるのか。これが成功する見込みのない挑戦であることは、現場を知っている栗城さんなら絶対にわかるはずなのに、なぜ続けるのか。略
さらにわからないのは、ファンの存在です。栗城さんのフェイスブックには応援のコメントが並び、だれもが知っているような大企業がスポンサーについてもいます。彼ら彼女らは、栗城さんに何を見ているのだろうか。
フェイスブックにいいねをつけまくっていた栗城ファンたちは今、いったい何を思っているだろうか。
「感動をありがとう」?
文字通り、命をかけて夢を追い続けた栗城史多のその姿に、何を感じているだろうか。
栗城さん、お疲れ様でした。ゆっくり休んでね。