インスタグラムみたいなブログには興味が湧かない

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インスタグラムのこと詳しく知らんけど、キラキラした自分をアピールする場所なんでしょ?

いかに自分がイケてるか、リア充か、そういう要素を競う大会なんでしょ?

いや、そういうの要らんし。

 

なんか最近ブログでも、リア充による「しあわせアピール」みたいなのが目立つようになってきた気がする…

単なる気のせいなんだろうか。

はてなブログのインスタグラム化が進行してませんか。

画像多めとかそういうことじゃなくて。

 

なんだろうな、作られたかのような、絵に描いたような「素敵さ」全開の、ほのぼのファミリーみたいな。

いや、それはそれで、全然OKだし、

「ほのぼのファミリー◯ね!」とかは全然、思わないんだけどさ。

 

なんだろうな~、私はね、もっと人間の本質を鋭くえぐったような、どす黒さも含めた生身の「人間賛歌」を求めているわけですよ。

 

本来、人間なんて、そんなにキレイなもんじゃないって思ってんのよね。

 

どこに出しても恥ずかしくないような、履歴書みたいなシュッとしたエピソードなんて、面白くもなんともねぇな、っていう。

まぁ、勝手にそう思ってるだけだから、オレが単にクレイジーなだけなのかも知れんけどさ。

 

とはいえ。

 

ず~~っとネガティブなことばっかり、ぐちぐちぐちぐち言ってるブログも、読む気にならんしなぁ~。

読むと魂、吸い取られるような気がして。

こっちまでドヨーンとなってしまう。

 

あと、あまりにもツラい話とか、悲しい話とかも、こっちのメンタルが耐えきれないので、読まないようにしてる。(このへんは自分の弱さを痛感)

 

じゃあ、結局、オレはどういうブログが読みたいのか?っていうと、正直、自分でもよく分からなくなってきてる。

 

 

あ。

 

 

あ。

 

 

何か分かったかも知れない。

 

こういうことなんじゃないのか。

 

感情むき出しで丸裸の文章を書き始めてようやく、寝ても覚めても未来の見えない深海から光の届く浅瀬までたどり着きました。だから、人に教えるようなことを持たない裸族の作家です。未開の地から裸一貫で鉄の塊の行き交うコンクリートジャングルに殴り込みにきました。強え奴と戦いたいです。

 

note.mu

 

感情。

 

 

「ブログ 書き方」みたいなワードを検索して、そうしてそこで得た”テンプレート”に合わせてブログを書いていたんだけれど、最近自分のブログを読んでいて今さら気付いた。

「情報が並べられているだけでつまらない……」

 

neko-in-vitro.blogspot.com

 

 

最近、こういう「読みやすい書き方」的な話があったけどさ。

note.mu

 

違うんだよ。そういうことじゃないんだよ。

技術うんぬんの話じゃねぇんだよ。

 

こうやって、「お手本的な書き方」ってのが出回って、そうしてみんな、似たり寄ったりの文章を書くようになるんだろ。

クソかよ。

 

 

最近、内田裕也がシェキナベイベーして、内田也哉子さんの謝辞が話題になってたじゃん?

www.nikkansports.com

 

素晴らしい文章だ、つって。

 

それでオレはね、思い出したんだよね。

 

昔、内田也哉子さんが、初めての絵本を出したときだったかな。

その時も、独特の文章が素晴らしい、って話題になったんだけれども。

 

どうしてオリジナリティあふれる文章が書けるのか?って話になった時に、内田也哉子さんは、その秘密を語ったわけよ。

 

「本を一切読まない」んだってさ。

 

他の人が書いた文章を一切インプットしない。取り入れない。参考にしない。

そうすると、必然的に、自分独自の文章になる、っていう話。

 

いや、この話がどこまで本当かは知らんよ?

誇張してる部分もあるかも知れない。

でもね、このエピソードには何らかのヒントが隠されているよね。

 

どこまで取り入れるのか。

どこまで取り入れないのか。

 

結局、出っ張ったところや、凹んだところが、その人の個性になるんだよね。

「習字」じゃないんだから、誰かの物真似じゃなくていいんだ。

 

技術よりも、もっと大切なものがある。

 

感情を込めろ。魂を込めろ。

そういうことだよな。

 

www.youtube.com