伝説的な落語家、志ん生は若い頃、何度もコロコロと芸名を変えたんだってさ。
で、どうして?って聞かれて、こう答えていた。
「改名はデメリットだけど、そもそも出世するつもりがなかったから」
何これ、カッコイイ…!!
芸人は名前を覚えてもらってナンボ。しかし、売れたいとか、出世したいという気持ちは無かったから、軽い気持ちで何度も名前を変えた…みたいな
「別に売れたいって思ってねぇし」みたいな。
これ、スゲーカッケーな、と思って、こうしてブログに書き始めたんですが、
今ね、志ん生のウィキペディア見ると、「改名遍歴」っていう項目があってさ。
こう書いてありました。
改名遍歴
5代目志ん生は幾度も師匠替え・改名をしていることで有名である。度重なる改名の背景には、借金から逃亡する目的と一向に売り出せない状況の打破を願う意味があったと言われている。
借金から逃亡するため。
売れない現状を打破するため。
・・・・・・・・・
(゚д゚)!
志ん生、てめぇ、
真逆じゃねぇか!この野郎!
こまったもんだな、このジジイは。
芸人ってのは、ろくでもねぇな。
適当なことばっか言いやがって。
結局、芸人に誠実さとか、モラルとか、人間性を求める方がアホなんだよな。
そうやって世の中を息苦しくすべきではないんだ。
面白けりゃいいんだ、芸人なんて。
だからこそ芸人が「救い」になるんだ。
談志が言ってたな、
「落語とは人間の業の肯定である」と。
ふがいない自分さえも受け入れろ、ってことだよな。
ふがいない他人さえも受け入れろ、ってことだよな。
まさに、そういうことだ。
番組のなかでは、何か良くないことがあった時とかに、縁起担ぎとか、気分転換みたいな感じで、芸名を変えたみたいなこと語ってたけど、とんだロクデナシだな、志ん生のジジイ。
借金取りから逃れるために15回も改名してんのか。
昭和を代表する伝説の落語家古今亭志ん生は1890年の明治23年東京神田で生まれた。少年時代から酒や博打を覚え、手のつけられない不良だったが唯一興味を持ったのが落語だった。15歳で家でしたのち落語家になった。結婚して子供も生まれたが生活は貧乏で荒れ放題。なかなか目が出ずに芸名を15回も変えた。しかし48歳で古今亭志ん生を襲名したころから人気が安定し、生き方そのものが落語家と人々に愛された。志ん生は人気絶頂の71歳で脳出血で倒れたが人気は変わらず、翌年には半身不随の体で高座に上がった。晩年は人熟した任侠話しで74歳には紫綬褒章を受賞。今なお衰えず映像や録音を通して新しいファンが増え続けている。
[NHK映像ファイル あの人に会いたい 【「アンコール 古今亭志ん生(落語家)」】 ]の番組概要ページ - gooテレビ番組(関東版)
ということで、まさかの結末を迎えました。
本来は
「やっぱり本物と呼ばれる人は違いますね!カッコいいです!」
っていう締めくくり方をするつもりだったのに、真逆になっちまったじゃねーか!
クソ志ん生め!
まぁ、面白けりゃ何でもいいよ。
志ん生が語るクオリティの高い貧乏のススメ 昭和のように生きて心が豊かになる25の習慣 (講談社+α新書)