何かある度に「でも、そんなこと、誰も教えてくれなかったし」という言い訳めいた事を言う人々がいることに気がついた。
ことあるごとに「知らない(できない)自分」が悪いのではなく、周囲の人間が悪いのだ、という方向に持って行こうとする。
こういった「思考の癖」を持ってる人々は、総じて生きづらそうだった。
「全部、自分が悪いのだ」と思う必要もないが「全部、お前らのせいだ」ってのも違うと思うぞ
ふたこと目には、他人を持ち出して、「悪いのはあの人たちだ。そのせいで私は大変な思いをしている」という自分なりの必勝パターンに持って行こうとする人々、いますね。
「弱い」からなんだろうな。
でもその自分の弱さを、受け止めることができないんでしょう。
何故なら、弱いから。
それで、なんとかして生き延びるために、「誰かのせいにする」っていう方法を編み出したんでしょう。
つらいね。
今、現在進行形で、困難に直面しているならいざ知らず、遠い過去の話でさえ持ち出して「でも、そんなことは親から教わらなかった」とか。
何かあると被害者であることをアピールしてしまう。
おそらく、無意識的に。
いや、親は親だし、極論を言うと「クソ親」と「今のお前」とは赤の他人なんだから、もうそろそろ「精神的親離れ」しようぜ、って声をかけたくなったりもするが、こういうのは、自分自身で気づく以外にないんだろうな、とも思う。
でもやっぱそういう人って、脳内の多くの部分を、親なり、誰かが、占めてるんだろうね。
トラウマになってんだろうな。
忘れることができないんだろうな。
何年経っても。何十年経っても。
気の毒だな。
生きづらそうだな。
大半の人なら、「でも」とか「だって」とか、言い訳しないような、言い訳なんて誰も求めてないような場面でも、率先して言い訳めいたことを言い始める人々。
全然、弁解なんて必要のない場面にもかかわらず、自分から言い訳めいたことを語り始めるのは、きっと過去に、傷つきすぎたからなんだろうな。
度を越して、傷ついた過去があるんだろう。
犬とか、猫とかでも、人間にめちゃくちゃ虐待されると、人間のことを極度に恐れるようになるよね。
人間が近づいただけで、ブルブル震えはじめたり、やぶれかぶれになって噛みついてきたり。
傷ついた記憶、ってのは、なかなか拭えないもんだ。
一生、抱えて生きることになる場合もある。
他人の心の痛みなんて、きっと分かりっこないんだろう。
傷ついてうちひしがれている人に「あなたの気持ち、分かりますよ」なんて、気安く声をかけるもんじゃないんだろう。
そして、
他人がどうこうしてやれるようなものでもないんだ。
自分で気付いて、立ち上がって、乗り越えていくしかないんだよ。
自分の生きづらさの責任を、親とか教師とか、社会のせいにして、かろうじて、ギリギリ生きていける、っていう人も、おそらくいるんだろう。
そういう人々が、いつの日か、自分も含めて誰のせいにもせず、そんなこと全然気にせず、当たり前のように淡々と、あるいは前向きに、生きていける日がくるといいなと思う。