悪い時計のたとえ話

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時計って面白くてさ、短針と長針があるじゃないですか。

アイツらは、1時間に一回、重なり合うんですよね。

でも、そんなことはどうでもよくてさ。

 

長針が頑張って頑張って、文字盤を一周している間に、短針は、ちょっとしか移動してないっていうところに注目してみてください。

 

もうね、全然、平等じゃないんですよ。

 

これって実は、この世の有り方を示しているんですよね。

 

貧困層が頑張って頑張って働いている時、富裕層は、悠々自適に暮らしているってことなんです。

貧乏人から搾取して得たお金で、面白可笑しく人生をエンジョイしているのです。

 

マクドナルドの厨房で、やっすい時給のフリーターが肉片を両面こんがり焼いてるその瞬間、マックの偉い人は、別荘のプールサイドでトロピカルドリンクを飲んでいるわけです。

 

マックの偉い人はハンバーガーなんて庶民の食べ物、食べませんよ。

 

マックの偉い人は、自分で肉片をひっくり返すこともなく、もっとおいしいステーキを食べているのです。

 

我々は鵜ですよ。

長良川の鵜飼いの鵜です。

 

頑張って潜って魚を捕まえても、その魚は全部、鵜飼いのおっさんに持って行かれます。

貧困層の人間は、富裕層の養分として生きていくしか選択肢がないのです。

 

ようするにですねえ、

 

・・・・・・・・・

 

時計はデジタルにしましょう、って話です。

(違います)

 

※ものすごく雑なネタ記事です。

すいません、書いてるうちに脱線して時計、関係なくなってしまいました。

 

 

gattolibero.hatenablog.com